有名人の葬儀

石原裕次郎(俳優)の葬儀

2018年06月12日 16時31分

石原裕次郎は昭和の大俳優。政治家であり、作家でもある石原慎太郎氏の弟です。海が似合う、ヨットが似合う、そして何よりもブランデーグラスとバスローブが似合う「タフガイ」。兄の石原慎太郎氏原作の「狂った果実」で大ブレークしました。歌手としても活躍し、多くのヒット曲があるにもかかわらず、紅白歌合戦への出場は断り続けていたそうです。

 
石原裕次郎のイメージは、人により、年代によりさまざまだと思います。「太陽に吠えろ」や「西部警察」のイメージが強いのは、現在の40代から50代でしょうか。石原軍団の全盛期だった気がします。
 
石原裕次郎は、その生活スタイルでも人々を魅了しました。ヨット、別荘、高級車、食通、たばこ、酒… しかし、その生活スタイルにより、石原裕次郎は大病を患うことになります。
 
1981年には「解離性大動脈瘤」。奇跡的に生還した3年後には肝臓がんが見つかります。今ではがんの告知も当たり前となっていますが、本人には最期まで知らされなかったそうです。1987年4月7月17日、肝細胞がんのため、石原裕次郎は、52歳の若さで亡くなりました。
 
石原裕次郎の葬儀は、近年、盛んになってきている「音楽葬」の先駆けと言われています。7月19日に自宅で密葬が行われ、本葬は翌月の8月に行われました。一般の献花が行われた会場では「夜霧よ今夜もありがとう」などのヒット曲が流れ、特大の全身像と遺影、ガルウイングが特徴的な愛車ベンツが飾られました。
 
しかし、クライマックスは友人、そしてライバルでもあった俳優・勝新太郎氏の弔辞だったのかもしれません。長いのですが、その一部をここに引用します。
 
なんかしゃべること見つけなくちゃいけない、
見つけなくちゃいけないと思って、どうしても、
その言葉が出てこない、そうしたら、兄弟― 
なんだよ、おまえ好きに言えよ、好きなこと言やあいいんだよ、来て。
そういう声が聞こえたんで……
ここへ来たら、ほんとに、生きてるときも思いやりがあったけども
、死んで肉体がなくなっても、この魂が……
この写真の顔が、たいへん楽にさしてくれて……。
悲しい葬式じゃなくて、
なにか楽しい、と言っちゃいけないんだけども、
ああ…なにか非常に、最高な葬式にめぐりあったような気がする。
ずいぶん前だったけど一遍、酒飲んで喧嘩したことがあった。        
「表へ出ろ!」っていうから、
「ああ、いいよ、上等だ!」って……。
たしか渋谷の…… 「屯喜朋亭」かなんかだったと思うんだけど、
出て、便所んとこ行って……そしたら、
「おい、芝居にしようよ」って言ったときの、あの、やさしい目。
そのときのもう、とても普通の俳優じゃできない、
すばらしい演技力というか、でき心というか。
もちろん、すばらしいっていうことはわかってたんだけども、
役者としては俺のほうが勝ってんじゃないかななんて思いながら、
このあいだ『陽のあたる坂道』とか、いろんなのを見てるうちに、
とても追っつかないなと、これは。
これは、俺たちみたいな、変な演技するとか、
そんなもう……そういうもんじゃ、とても、これはかなわないと、
石原裕次郎っていうのは、もう、すごいんだと、つくづく思った。
生きていながら死んでるやつが多い世の中で、
死んで、また生き返っちゃったという、
このすごさ。これは、とってもすごい……
頭が下がる。そんなすごい人から、兄弟っていわれた、俺も幸せ。
ほんとに、どうもありがとう。
 
勝新太郎は葬儀会場に来るまで、兄弟(親友)の死に関して何を言っていいのか、迷いがあったようです。この弔辞の内容をどう受け取るかは人によるでしょう。ただ、このなんというか、勝新太郎らしい言葉は、弔辞の教科書にはならないかもしれませんが、気持ちを伝えるという点では参考になるかもしれません。
 
参考
最高の弔辞はこれ(考える葬儀屋さんのブログ)
https://kangaerusougiyasan.com/archives/1851074.html